【防災知識】戦争という災害からの復興

30年以上前の1990年の正月、私(堀内)はこれから世界が平和になると思っていました。
なぜなら1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、12月にマルタ会議で冷戦の終結が宣言されたからです。
しかもこの頃の日本はバブル景気で、世の中が浮かれた雰囲気にもなっていて、私は世界が平和になる事を信じて疑いませんでした。
しかし1990年8月にイラクがクウェートに侵攻し、制裁と交渉でどうにかできると思ったら、1991年1月に湾岸戦争が始まりました。
1990年10月に東西ドイツの統一がされて、喜んでいたのにガッカリしました。
湾岸戦争が終わったら今度は、1991年8月にソビエト連邦でクーデターが発生して、12月には崩壊してしまいロシア連邦になりました。
その後はクロアチア戦争、ソマリア内戦チェチェン紛争など、常に世界の何処かで、争いが行われている印象があります。

私が子供の頃はまだ、頻繁に地下核実験が行われていて、核の恐怖があったので冷戦さえ終われば、世界は平和になると思っていました。
しかし実は冷戦により、経済格差·民族対立·宗教対立など様々な問題を、軍事·経済などの大きな力で抑止して、かりそめの平和を作る一面がある事を、2001年9月のアメリカ同時多発テロの後に理解し、複雑な心境になりました。

今後のウクライナの復興を考えると、イラク復興支援やアフリカ諸国への支援など、これまでの各国の支援を見ると、現地で不評な事が多いようです。
NGOの国境なき医師団や国際赤十字は、命懸けで支援する凄い組織ですが、欧米は信頼関係を築く手間をかけず、現地の方々は見下されていると感じている様ですし、中国は現地に仕事を生まない上に、無理な借金をさせられます。
日本は共に考え汗を流し、現地に仕事を生んで自立も促す支援なので、喜んでもらえると思います。

日本は災害があると仮設住宅を、多用している事が知られている筈です。
砲弾やミサイルで、街が徹底的に破壊されているので、仮設住宅やそれに伴う給排水や電気設備などの、居住支援も期待されていると思います。
ただウクライナ人は日本人より、平均身長が5cm程高いので、日本の仮設住宅の規格では、ウクライナの大きな人は、頭をぶつけてしまう人が多そうです。

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